運命論と、その解釈

私は所謂「運命論者」である。即ち、この世における全ての事象は「運命」によって定められた原因と結果を辿っているに過ぎない、と考えている。

運命を語る時、人によっては「運命は変えられる」というように語られることがある。しかし、私はそのようには考えていない。そのように語られる「変えられる運命」とは、実際には「その事象を変えることが定められていた運命」でしかなく、結局の所は全て運命に支配されている、というように考えている。

ただしここで重要なのは、「運命に支配されているから、何をやっても無駄である」という思考に陥ってはならないことである。人がそのような思考に陥るとき、その思考もまた運命がもたらしうる結果でしかないのである。

人がより良い人生を送るにあたって、「運命が変えられるものであるかどうか」は、大した意味がない。人にとって「運命に従うこと」は、人が未来を考える上では無意味であり、結果だけが運命から導き出されるのである。

運命は、人生にとっては抽象化された事実でしか無く、それ自体は気にする必要のないものなのである。よって人が生きる上では「真摯に生きること」だけが重要であり、その原因と結果が運命の導きなのである。

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